2018年4月14日土曜日

暖かな沖縄の地にも怪異は息づく――『私はフーイー 沖縄怪談短編集』

今晩は、ミニキャッパー周平です。百物語も第九十四夜目となりました。計算上は六月上旬には第百夜目を迎えることになるわけですが、その間に横たわるゴールデンウイーク前の校了の山を無事に乗り越えられるか、神のみぞ知るといったところです。


本日ご紹介する一冊は、恒川光太郎『私はフーイー 沖縄怪談短編集』。
タイトル通り、(主に)沖縄の本島や島々を舞台にし、沖縄弁の飛び交う異国的ともいえる世界で語られる、恐怖や怪異に纏わる7編を集めた作品集となっています。


表題作となっている「私はフーイー」は、琉球王朝時代の沖縄に流れ着いた、動物に変身することのできる女・フーイーが、五十年おきに転生を繰り返し、廃藩置県や太平洋戦争といった沖縄史の激動を見守り続ける物語。次々に時代が飛び、雄大なタイムスパンで語られるフーイーの生の在り方はマジックリアリズム的なスケールの大きさがあります。
人の生き様、人生を丸ごと描いた作品は他にも二本あり、「幻灯電車」は昭和初期から沖縄の本土復帰頃までを生きた女性の一代記で、家族の犯した殺人によって零落していく人生を、どこへ向かうとも知れない「お化け電車」の幻影が怪しく彩る物語。「月夜の夢の、帰り道」は、「十二歳の少年が、祭りの夜の日に出会った女に、悲惨な生涯を予言される」という冒頭部から、その波乱万丈の一生が描かれていきます。流浪の果てに彼が出会った魔女がもたらすものは……?

「夜のパーラー」はファンタジー要素よりもエロスとサスペンスが前面に現れた一本。夜の道で沖縄そばを売る屋台の店。偶然そこにたどり着いた男は、店員の女と親しくなるが、彼女の身の上話に耳を傾けるうちに殺人計画に巻き込まれ……不気味な余韻は本書でも随一。
「ニョラ穴」は、酔った勢いで殺人を犯してしまった男が、その隠蔽のために向かった無人島で遭遇した、謎の生物「ニョラ」の魔性を手記形式で描く。「ニョラ」は異様な匂いを発し、甘い幻想で獲物を呼び寄せる肉食生物。洞窟の中に潜んで姿を見せないものの、だからこそ想像を掻き立てる不気味さがあります。

私が特に好きなのは冒頭に置かれた「弥勒節」「クームン」の二本。
「弥勒節」の舞台となる島では、虫の群れが作り出す人型の影や、ひらひらと舞う黒い布のようなものなど、様々な形で生じ触れた者には死をもたらすという怪現象、「ヨマブリ」の実在が信じられている。その島で、死者の鎮魂のために用いられていた胡弓(楽器)に精霊の力が宿った。その胡弓を偶然手に入れた男は、精霊の声を聞いて、音楽を弾き鳴らしていくうちに運命的な出会いを果たすが――音楽の持つ力が人間の魂を導いていく美しさに加え、「ヨマブリ」の正体も明らかになる伝奇的な面白さもある、短編の巧手ならではの作品。

「クームン」で登場するのは、もじゃもじゃ頭で着物姿、森の中のあばら家に住んでいて、家を囲む木々の枝には大量の古靴を結び付けている、正体不明の魔物・クームン。クームンの住処を見つけた少年は、家出した少女をそこに匿ったが、やがてあばら家の中で起きた血なまぐさい真実が明らかになる。ノスタルジックなボーイミーツガールに花を添える、魔物の不思議な性質(靴をあげたら願いを一つ叶えてくれる、かもしれない)が印象的です。

「ヨマブリ」にしろ「クームン」にしろ、あまりにも世界観に自然に溶け込んでいるので、実在の伝承なのか、と思ってグーグル検索にかけても全く引っかからなかったので、これは作者の創作のようです。そんな錯覚を生んでしまうほど、作者の構築した世界、幻想の沖縄が強固な存在感を持っているのです。

GWに沖縄に行かれるご予定のある方は、ご旅行前にお読みいただければ、更に沖縄を楽しめるのではないのでしょうか。

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