2018年2月24日土曜日

妖怪や霊のいた時代の物語が現代に蘇る――朱川湊人『狐と韃 知らぬ火文庫』


今晩は。ミニキャッパー周平です。第3回ジャンプホラー小説大賞銀賞『自殺幇女』校了のため大忙し。最新のホラーを追う余裕が無い時は、より古い時代の作品が気になる私です。日本で一番古いホラーは何か、というのも気になるこの頃。『古事記』『日本書紀』の記紀神話は超常要素を多く含みますが、もう少し狭義の「怪異談」のはしりとしては、日本最古の説話集であり、平安時代初期、9世紀に編纂された『日本霊異記』に収録された話のいくつかがそれに該当するのではないか、という意見が多いようです。

『日本霊異記』は仏教の教えを広めるという目的で編まれた関係上、基本的には因果応報譚や信仰の話が多いのですが、その中に、「荒野の真ん中で出会った綺麗な女と結婚したが、実は女の正体は狐だった」話や、「道ばたで踏まれていた髑髏を憐れんで木の上に移動させたら、霊から恩返しを受けた」話など、妖怪・霊異談に含まれるものが含まれています。

そこで、今回ご紹介する一冊は、『日本霊異記』をもとに書かれた、朱川湊人『狐と韃(むち) 知らぬ火文庫』。『日本霊異記』116話のうちから8話を、著者流のアレンジを加えて原典とは異なる読み味に仕立てています。



たとえば前述した髑髏の恩返しの話は、『日本霊異記』では、兄に殺されて髑髏だけになった男を見つけた僧の視点から語られる構成なのですが、本書収録の「髑髏語り」では、殺人者である兄の視点から「なぜ弟を殺すに至ったのか」、そのやむにやまれぬ流れと殺人後の葛藤が描かれ、髑髏が僧に恩返しをする場面も全く異なる「やるせなさ」を呼ぶものになっています。

原典と同じ事件を扱いながら読後の印象が180度違う作品もあります。
まず『日本霊異記』版の「閻羅王の使の鬼の、召さるる人の賂を得て免しし縁」という話。寺に出入りしている商人・楢磐嶋という男の所に、閻羅王(閻魔大王)の使いである三匹の鬼が現れ、「お前をあの世に連れていく」と言う。まだ死にたくない楢磐嶋は、鬼たちを饗応し、自身の助命を嘆願。その願いが聞き入れられ、鬼たちが「楢磐嶋と名前が同じだけの別人」をあの世に連れて行くことにしたので、楢磐嶋自身は90歳まで長生きした。……乱暴にまとめれば概ねこういう話で、寺に出入りしていたことや鬼たちを饗応したことで助かったのだ、という感じで締められています。
それが『狐と韃』版(タイトルは「塵芥にあらず」)では、楢磐嶋の身代わりにあの世に連れていかれてしまった「同名の別人」の方にスポットを当て、その友人視点から世の理不尽への憤りを描く、現代人にとってより共感ができるものになっています。

それ以外のエピソードも、現代作家らしいひねりがきいています。狐を娶る物語は、渡来人らしき女とのラブストーリーに読み替えられ、蛇に襲われた女の因果から前世を語る話は、エロティックで背徳的なエピソードに変化し、死後の世界を見てきた男の物語は、男女関係のもつれに起因する陰謀談として再解釈されます。「頭と首がつながって、あごが無い」異形の女性が僧になる物語は、親娘の関係性に着目して新たな感動を生み出しています。平安時代、まだ漢文で書かれていた頃の物語が、新鮮な気持ちで読めることが素敵です。

ところで、本書のレビューを書くために、原典『日本霊異記』を読んだのですが、前述した狐を娶る物語は、「狐」という獣の名称の由来を語る物語にもなっていました。なんでも、男のところに「来て」男とともに「寝た」ことから、それ以来、その獣の名を「来ツ寝」すなわち「キツネ」と呼ぶようになったのだとか……ほんまかいなと思いつつ、1200年も前の人にそう書かれたら、ちょっと信じてしまいそうになる、ロマンのある話ではないでしょうか。

2018年2月17日土曜日

山は異世界。町とは違う理の支配する場所――coco・日高トモキチ・玉川数『里山奇談』

今晩は、ミニキャッパー周平です。古橋秀之のSFショートショート集『百万光年のちょっと先』、レビューや感想をネットに上げて下さっている方、ありがとうございます。短いお話をたくさん収録した本は、読んだ後に「どの話が好きだったか」を人と語り合うことができるのが楽しいですね。本日ご紹介する一冊も、掌編ほどの短い物語がたっぷり収録されています。

というわけで今回の一冊は、coco・日高トモキチ・玉川数『里山奇談』。



生物観察のために山に入る人、ヒッチハイクの旅人、ハイキングに出かけた夫婦、山郷の住人など、様々な人々が(主に)山で遭遇した怪異を中心に語る、ショートストーリー40編を収録した、実話風怪談集。浜辺や離島を舞台にした作品も含まれていますが、ほとんどが「山もの」というのが特徴です。

まず目に留まるのは、山は生き物に溢れた場所であるという点で、本書自体が生き物観察の愛好家たちによって集められた内容という体裁であるため、怪異の体験者・登場人物にも、昆虫の観察や撮影を趣味とする人が多く、その時点で何やらディープな世界が広がっています(「甲虫専門の人」「蛾が専門の人」「カミキリムシが専門の人」などがおり、それぞれ「甲虫屋」「蛾屋」「天牛屋」と称されるのだとか)。そして、亡くなった妻が蛾になって帰ってきたと語る男の話「白蛾」、蛍を用いた弔いの風習について語られる「ほたるかい」、老人を襲った惨劇を描く非常にグロテスクな作品「巣」などを読むと、都会人が普段ノスタルジーと幻想の中に押し込めている「虫」への異界感、生理的な断絶が、非常に生々しい感触をもって蘇ってきます。

山里の怪異にまつわる信仰や伝承について、詳細な解説がなされ、知的好奇心をくすぐる読み物的な作品もあります。「アイとハシとサカ」は『アイ』『ハシ』『サカ』を含む地名が示す危うい特異性を、「神木と御鈴」では、神木に軽々しく触れることの禁忌の訳を、「山笑う」では、山中で起こる不思議な現象に起こる対処法を、それぞれ知ることができます。これらの真実味をもった説明のうち、どこまでが事実でどこまでが創作ととらえるかは読者に委ねられています。この方向性での一押し作品は「エド」で、いわゆる心霊スポットの説明を足掛かりに、『悪しきモノ』の存在によって穢れた場所と周辺住民たちの関係について解説がされるのですが、最後の一行が、心霊スポットどころではない名状しがたい余韻を残します。

その他にも、バリエーション豊かな怪談・奇談が収録されており、山の集落で行われていた盟神探湯めいた裁判方法に隠された秘密を描く「カンヌケサマ」は意外な展開への驚き。鹿を轢き殺した猟師のゾンビ的体験を描く「いけるしかばねのしかのし」はユーモラスな印象。交通量のほとんどない島になぜか唯一立っている信号機の由来が明かされる「信号機」はハートフル。幼少期に目撃した華やかな『狐の嫁入り』の記憶が、大人になった後に全く様相を変える「山野辺行道」はノスタルジックで抒情的。弟とともに廃病院の探索に訪れた少年の体験「廃病院にて」は、怪異が現れた瞬間にビビること必至、がっつり怖い。……などなど、書き手が三人いることもあってか様々な味わいが楽しめる一冊。

好奇心旺盛な読者であれば、読み終わって山の怪しい魅力に憑りつかれるでしょうし、ビビりな読者はしばらく山に近寄りたくなくなること必至の本と言えます。ちなみに私は後者です。


2018年2月10日土曜日

神隠しの森に潜む怪異と悪意――三津田信三『魔邸』

今晩は、ミニキャッパー周平です。ホラーとは全然関係ないですが、小説:古橋秀之、画:矢吹健太朗のSFショートショート集『百万光年のちょっと先』が刊行されました。ぜひご一読下さい! さて、『百万光年のちょっと先』では帯に銀色の特殊紙を使用していますが、カバーに銀色の特殊紙を使用したホラー本を見つけました。

というわけで、本日の一冊は、三津田信三『魔邸』です。



小学校六年生の世渡優真は、幼いころに実父を亡くし、母の再婚後は義父との関係に悩んでいる。夏休み、義父の海外赴任に母が付き添うことになったため、優真は義理の叔父・知敬の所有する別荘に身を寄せることになった。優しい義父とともに暮らせることを喜んでいた優真だったが、別荘地付近で、かつて「神隠し」事件がたびたび起こったことを知らされ、恐怖に怯えることになる。

優真はそれ以前にも、「ここではない、別の世界」に迷い込んでしまい、そこで得体の知れない怪物に追いかけられる、という経験を2度したことがあり、超常的な「異界」の実在を知っていたのだ。別荘での不安な生活が始まったが、深夜、目を覚ましてしまった優真は、そこに存在するはずのない「何者か」を目撃してしまう――。

これまでにも二度(『のぞきめ』『わざと忌み家を建てて棲む』)著作をご紹介しましたが、三津田信三といえばミステリーとホラーの融合に並外れた実力を発揮する作家であり、今回もそういった楽しみのある作品です。ホラーかと思っていた物語がミステリに化ける。しかし油断しているとまたホラーへと化ける。そんな狐狸妖怪めいた物語が本作品なのです。

まずホラーとしての魅力。屋敷と呼べるくらい巨大な別荘で、深夜に響くこちらを探すような足音、ドアの隙間から覗いてくる真っ黒い顔など、幽霊屋敷ものとしての怖さも十分ですが、それにも増して怖いのは別荘に隣り合う「森」です。姿を消した子供が見つかるが、いなくなった時のことは何も覚えていないし、それどころか別人にすり変わっているような違和感がある。あるいは、姿を消した子供がそのまま見つからずに終わる。そんな事件がたびたび起こっている「蛇蛇森」の存在は、作中でも際立って禍々しいムードを放っており、その亜空間めいた「蛇蛇森」に優真は導かれて行ってしまいます。


一方で、超常現象の数々に紛れ込むように配され、優真が味わわされていた幾つかの恐怖体験には、ミステリ的な「真相」が隠されています。その中身、物語の裏で進行していた事態が明らかになり、見えていた世界がホラーからミステリのそれに急変する時の驚きは作中でも格別です。伏線が周到に張られていたにもかかわらず、真実にたどり着けなかった読者が味わう「騙される快楽」は格段のものでしょう。そして、謎が解かれた結果として優真は最大の窮地を迎えてしまいます。ホラー的な悪意とミステリ的な悪意の重奏によって、最後の一行まで気を緩めることのできない物語。最後はどちらで終わるのか、確かめてみてください。

(CM)第4回ジャンプホラー小説大賞原稿募集中。ふるってご応募ください。

2018年2月3日土曜日

南米に花開いためくるめく奇想幻想。J・L・ボルヘス他『ラテンアメリカ怪談集』

今晩は。ミニキャッパー周平です。今日は長くなりますので、前置きなしにご紹介を。
J・L・ボルヘス他『ラテンアメリカ怪談集』(鼓直・編)です。



このシリーズは、『イギリス怪談集』『フランス怪談集』『東欧怪談集』『中国怪談集』など、8090年代にかけて刊行された各国・地域の怪談集シリーズなのですが、昨年末この一冊のみが復刊されました。
ラテンアメリカといえばマジックリアリズム小説豊穣の地。日常の中に、現実ではあり得ないことや、スケールの大きすぎる事態が平然と入り込み、それが当たり前に受け入れられ、奇妙な世界が創り上げられていく――そんな手法を得意としていて、純文学/ファンタジー/ホラーといった本邦でのジャンル区分では語りづらい作品が多いです。このアンソロジーにも、ボルヘス、コルタサル、パス、フエンテスなど、ラテンアメリカ文学の重要人物と呼ばれる作家がずらりと顔を揃えています。

※以下、各短編を、作者(出身国)「作品名」の形で表記してご紹介していきます。

まずは分かりやすくホラーらしいホラーから。
アンデルソン=インベル(アルゼンチン)「魔法の書」は古書ホラー。蚤の市で見かけた本には、魔術的な文字で、キリストと同時に生まれたとされる伝説の不老不死の人物「さまよえるユダヤ人」の自伝が書かれていた。そこには世界の宗教史を覆す内容が含まれていた……。普通には読むことができず、文字列に意識を没入して読み続けないと、気を抜いた瞬間すぐに文章が読めなくなり、冒頭から読み直す羽目になる。そんな鬼畜仕様の本に心を囚われてしまった男の運命は?
オカンポ(アルゼンチン)「ポルフィリア・ベルナルの日記」は耽美ホラー。家庭教師である女性は、自身の教え子から日記を見せられますが、その中身は彼女の隠された顔を暴き、恐るべき運命を予言するものでした。

普通ならホラー以外のジャンルに区分される作品も少なくありません。
ルゴネス(アルゼンチン)「火の雨」は古代を舞台にした災害小説。明言はされていませんが恐らくは噴火で滅んだ日のポンペイ、その地獄絵図を、見てきたかのような臨場感たっぷりの筆致で、しかし、破滅を受け入れた男の視線から静かに描いています。
ビオイ=カサレス(アルゼンチン)「大空の陰謀」は、テストパイロットが試作機の飛行で墜落して、地上に戻ってくると、誰も彼のことを知らない奇妙な世界に迷い込んでいた……というSF的な興趣をもったもの。
レサマ=リマ(キューバ)「断頭遊戯」は古代中国を舞台に、幻術使い(生物を操ったり、誰かの首を切ったあと元通り繋げる、などといった奇術・魔術を行う)の流転する人生を描く伝奇物語。
ボルヘス(アルゼンチン)「円環の廃墟」は著者の代表作の一つである幻想小説。神殿の廃墟でひたすら眠り、夢を見続ける男の目的は、夢の中で一人の人間を創造することだった。夢の中で創造された人間の行動は……? 無限の世界に思いを馳せる哲学的な内容です。

恋愛がモチーフになった作品も、やはり一筋縄ではいきません。
キローガ(ウルグアイ)「彼方で」は、大恋愛の果てに心中を選んだ女性の語りですが、心中して命を落とした後も、彼女の語りは平然と続きます。生前の思い通り、愛した男と逢瀬を重ねるものの、やがて……。人間の魂の脆さが胸に刺さります。
アストゥリアス(グアテマラ)「リダ・サルの鏡」は、意中の男を手に入れようと、恋のまじないに手を出した女を待ち受ける悲劇。まじないは、男が祭礼で着ることになっている服を先に一度着ておくという素朴で微笑ましいものですが……? 最後の一文の悲しい美しさは、この本の中でもピカイチです。
パス(メキシコ)「波と暮らして」は人間と「波」の恋愛を描いた、世界幻想文学史上でも高名な作品ですが、この短編については以前の記事で触れたのでご参照のほどを。

アンソロジーとしての目配りらしく、コミカルな作品も挟まっています。
モンテローソ(グアテマラ)「ミスター・テイラー」は、干し首の収集がブームになるというブラックユーモア。先進国の道楽によって途上国が被害を被る、という文明批評の側面も。
ムヒカ=ライネス(アルゼンチン)「吸血鬼」では、見た目が非常に吸血鬼っぽい男爵が、その見た目をホラー映画製作陣に見込まれて、主演を務めることに。製作陣はホラーのプロであるため、「こんなにも吸血鬼っぽい人は吸血鬼ではないだろう」という逆先入観に囚われていますが、案の定、男爵は本物の吸血鬼でした。非常に大仰な文体なのにホラーを茶化すような展開の連発で、読んでいる間くすくす笑ってしまいました。

さて、いよいよ本書の本領である、怪談と言うか幻想文学というか純文学と言うか、ほのめかしに満ちて、どこまでが現実でどこからが超現実なのかわからない、そんな面妖な作品群です。私としても、あらすじは理解できても、解釈を一つに定めにくいものばかり。
リベイロ(ペルー)「ジャカランダ」。大学で教鞭を執っていた男が妻を亡くし、その土地を離れようとしていた。ところが、彼の後任でやってきた女性の素性が、どうにも彼の亡くなった妻のそれと同じものらしい。一体何が起きているのか、結末をどういう感情で受け止めるべきなのか、読後も頭を悩ませる作品です。
ムレーナ(アルゼンチン)「騎兵大佐」では、軍人の葬儀に紛れ込んだ、冒涜的な振る舞いをする怪しい男が登場します。フエンテス(メキシコ)「トラクトカツィネ」は、古い屋敷に引っ越した男が、別世界めいた庭で謎の老婆に遭遇します。どちらも、不吉な存在の禍々しさは伝わりつつ、正体はよくわかりません。
そして、こういう謎めいた方向性の歴史的作品が、コルタサル(アルゼンチン)「奪われた屋敷」。中年の兄と妹がふたりで暮らしている大きな屋敷。兄が読書を、妹が編み物をして過ごす平凡な生活は、しかし徐々に侵食されていく……屋敷を奪おうとする者の狼藉によって。緊張感と切実さに満ちており、二人の諦観とそれを超える悲しみは胸を打ちます。が、屋敷を奪っていく存在が何者なのか、具体的にどうやって奪っていっているのか、(兄妹には分かっているのに)読者には、最初から最後までさっぱり分からないという恐るべき構成。想像力をくすぐられること請け合いです。


読書好きには、奔放なイマジネーションに満ちたラテンアメリカ文学に出会って、人生が大きく変わった人も大勢いると思いますが、その入り口にもなり得るアンソロジーです。ホラーという範疇には括りづらくなっていくので、これ以上はこのブログの扱う範囲からズレて行きますが、手に入りやすい本として、ボルヘス『伝奇集』、コルタサル『悪魔の涎・追い求める男 他八篇コルタサル短篇集』などもお勧めしておきます。