2017年12月30日土曜日

小学生二人、死体遺棄の夏休み――乙一『夏と花火と私の死体』

今晩は、ミニキャッパー周平です。2017年も残すところわずか、今年最後のブログ更新となります。改めてになりますが、このブログは、面白いホラーを紹介しジャンプホラー小説大賞を宣伝しつつ、新人賞受賞を目指す方へのヒントにもして欲しいという願いのもと、続けています。そこで今回は、ジャンプJブックス編集部ともゆかりの深い、「新人賞受賞作」――第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞作をご紹介したいと思います。

本日のお題は、第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞した、乙一『夏と花火と私の死体』です。



夏休み。小学三年生の五月は、同級生である弥生と、その二歳年上の兄・健と、今日も仲良く遊びまわっていた。しかし、些細なことをきっかけに、五月は弥生の手によって木の枝から突き落とされ、殺害されてしまう。健と弥生は、五月の死体を遺棄して、近辺で起こっている連続誘拐事件犯人の仕業に見せかけるべく奔走するが……

ほのぼのとしたノスタルジックな夏休みの光景、子供たちのほのかな恋愛感情をめぐる微笑ましいやりとりから、一瞬で転調し、「殺人者とその兄が死体を隠す」というサスペンスフルなものに激変するプロット。主人公である五月が、死者となってからも語り手であることをやめず、死体の始末に右往左往する兄妹の姿をつぶさに語っていく、という異様な形式。その二つの衝撃で、序盤から心を鷲掴みにされます。

中盤は、様々なシチュエーションで、死体を隠していることが危うくバレそうになったる「ドキドキさせられる」シーンに溢れています。そこを小学生ふたりに可能な限りの機転で、警官や大人たちを欺いて切り抜けたり、あるいはまったくの偶然や幸運で難を逃れたりと、手に汗握る内容が続きます。私は中でも、「死体を押入れの中に隠した状況で、母親や来客が部屋に来る」というシーン(死体の一部がひょっこりはみ出たりします)の綱渡り的な恐ろしさ、「死体が足元にある状況で五月の母親と話をする」という場面の、理性を失いそうな異常な緊迫感が印象に残っています。

そして「死体を、発見されないような穴に落とす」という最終目標を立てて行動する二人の行く先に待ち構えているのは、巧妙な伏線を生かしたショッキングなラスト。この作品は言わずとしれた名匠・乙一のデビュー作ですが、再読するたびに改めて、弱冠16歳で書いたものであることに驚かされます。

短編「優子」も同時収録。こちらは第二次大戦後すぐ、とある旧家の使用人が、決して部屋から出てこようとしない女性に疑いを抱くことから始まる、どんでん返しの見事な一本です。

ホラーファンの方には当然ながらお勧めですが、小説新人賞の受賞を目指す方は、ぜひ一度本書を読んでいただき、「序盤で心を掴む」「中盤で読者を楽しませる」「ラストで衝撃を与える」技術を堪能し、吸収してください。

2017年12月23日土曜日

魔の憑いたタイプライターが、私の物語を紡ぎだす……マイクル・ビショップ/小野田和子訳『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』

今晩は、ミニキャッパー周平です。いよいよ今年も残すところ1週間ほど。冬休みも近づいてきた頃合いです。そこで今回は、(最近、コンパクトな本をしばらくご紹介してきたこともあるので)ハードカバーで厚めのホラー本をご紹介したいと思います。

本日の一冊は、マイクル・ビショップ作/小野田和子訳『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』です。



夫に先立たれ、子供二人を女手一つで育てている女性、スティーヴィ・クライの職業はライター。いずれは自分の書いた記事をまとめて一冊の本にし、ベストセラーにすることを目標にしつつ、執筆に励んでいる。しかしある日、生前の夫からプレゼントされたタイプライターが故障してしまう。修理人に直してもらったものの、それ以来、タイプライターが自らの意思を持ったかのように、勝手に文章を打ち始めるようになった。ひとりでに打ち出される内容は、スティーヴィの見た悪夢の中身や、家族に纏わる不吉な予言など、心をかき乱すものばかり。タイプライターに起きた異変の原因を修理人のせいだと考えたスティーヴィだったが、事態の解決を図る中でも、徐々に日常は侵食されていく……。

本書はホラー的な見せ場を含みつつ、小説内小説が物語の根幹にかかわっているメタ・ホラーでもあります。細かく章を区切られた物語の中に、「タイプライターが書いた、スティーヴィを主人公にした物語」の章が紛れ込んでいて、作中の「現実」と「虚構」の見分けが徐々につきにくくなっていく、という仕掛けなのです。どういうことかと言うと……とある章で、スティーヴィの娘が寝室で苦しみ始めてうわ言を口にし、彼女の毛布の下には恐ろしい光景が――みたいな場面が書かれるのですが、次の章で、前の章が丸々「タイプライターの書いた原稿」であり実際には起きなかったことだと判明する、といった具合。ストーリーの後半では、「この先の章」の内容が書かれた文章を登場人物たちが手に入れ、「先の展開を知りつつ」行動する、などという更にトリッキーな箇所もあります。


そんな複雑怪奇な物語構造になっている上に、主人公であるスティーヴィ自身、実際に起きたこととそうでないことの区別ができなくなり、家族や友人から不審な目で見られ始め、心理サスペンスの様相を呈してきます。スティーヴィの日常にぬるりと入り込んで来る修理人の薄気味悪さや、修理人が飼っている猿の忌まわしさなども、彼女を神経質にさせ、恐怖させるに十分ですが、やはり一番恐ろしいのは、作中で一番キャラが立っているとさえ言える、自ら文章を紡ぐようになったタイプライターの存在でしょう。スティーヴィの夫の死の真相を仄めかしては話題を逸らしたり、「あなたは誰?」と尋ねられたら「わたしはあなたの想像の産物だ」と混ぜっ返したりと、こちらをあざ笑い、狂気に誘おうとする態度からなかなかの底意地の悪さが伝わってきます。もし自分が文書編集に使っているPCが勝手に物語を紡ぎ始めたら、スティーヴィのような窮地に陥る前に、早めに叩き壊そうと思います。


(CM)第2回ジャンプホラー小説大賞から刊行された2冊、白骨死体となった美少女探偵が謎を解く『たとえあなたが骨になっても』、食材として育てられた少女との恋を描く『舌の上の君』をどうぞよろしくお願いします。そして第4回ジャンプホラー小説大賞へのご応募もお待ちしております。

2017年12月16日土曜日

二十二年前の猟奇殺人の残滓が、村を訪れた者たちに襲い掛かる――『乙霧村の七人』


今晩は、ミニキャッパー周平です。締め切りまであと約半年、第4回ジャンプホラー小説大賞、絶賛募集中です。ホラー賞への応募作品の中には「村」をテーマにしたものもよく見受けられます。祟りと殺人の舞台「八つ墓村」、ゲーム『ひぐらしのなく頃に』の「雛見沢村」、かつてブームだった都市伝説「杉沢村」などなど、奇妙な因習や信仰が残っている閉鎖された場所として、「村」のもつイメージは強固なのかもしれません。

というわけで、本日の一冊は、伊岡瞬『乙霧村の七人』。


 




長野県木曽郡乙霧村。そこは、江戸期から身内殺しの因縁が残る土地であり、二十二年前にも「乙霧村の五人殺し」と呼ばれる一家惨殺事件が起きた場所だった。その事件は、ノンフィクション作家・泉蓮の著作によって一躍世に広まった。泉蓮が顧問を務める、立明大学の文学サークル『ヴェリテ』のメンバー六人は、合宿の途中で乙霧村を訪問する。既に無人となった、かつて惨劇が起きた集落に踏み込み、不謹慎な悪ふざけをしていた彼らだったが、その眼前に、正体不明の大男が現れる。男は突如豹変し、凶器をもってメンバーに襲い掛かる――

「昔、猟奇殺人事件の起こった現場に、興味本位のグループが訪れ、かつての事件の犯人を思わせる怪人に襲われ、必死で逃げ回る」という、もう皆殺しエンドしか待っていなさそうな導入ですが、一筋縄でいかないのは、この作品がホラーサスペンスの形を借りたミステリでもあるということ。「犠牲者」たるサークルメンバー六人がみな腹に一物秘めた連中、秘密を抱えた人間です。誰よりも、語り手である女性・有里の秘密が一番大きいのですが……

「第一部」は、サークルメンバーのうち、最も頼りになりそうな者が真っ先に襲われて意識不明になり、残るメンバーたちが、橋一本を除いて脱出経路のない小さな集落を(かなり足を引っ張り合いながら)逃げ惑うものの、斧を構えた男に襲われたり捕まったりして、一人また一人と消えていく、という脱出ホラー。と同時に、男の正体は何者か、なぜ彼らを狙うのか、の手がかりが示されていく「問題編」でもあります。

そして「第二部」は、関係者の証言が集められ、第一部に散りばめられた伏線、ミステリ的な仕掛けが丁寧に回収されていく「回答編」となっており、サークルメンバーを襲った男の正体と動機、二十二年前に起きた惨劇、それら全ての意味が裏返るという衝撃のどんでん返しが待っています。謎解きが好きな読者の方は、「第一部」を読みながら、自分なりに真相を推理してみるのも良いかもしれません。

今年の「ミニキャッパー周平の百物語」もラストスパート、次回の更新は、(たぶん)あと2回。次回は重量級の作品をご紹介したいと思います。

2017年12月9日土曜日

その力は殺意を沸騰させる――日向奈くらら『私のクラスの生徒が、一晩で24人死にました。』

今晩は、ミニキャッパー周平です。タイトルが印象的な本というのは、ついつい手にとってしまいがちなものです。ホラーでいえば、『メドゥサ、鏡をごらん』『独白するユニバーサル横メルカトル』『ずっとお城で暮らしてる』などのタイトルが個人的にお気に入りです。今回ご紹介する本も、タイトルインパクト抜群。

というわけで今日の一冊は、日向奈くらら『私のクラスの生徒が、一晩で24人死にました。』です。



南城高校2年C組担任の教師・北原奈保子は、2学期が始まる直前に、自身の生徒のうち4人が謎の失踪を遂げてしまったことで憔悴していた。更に9月2日の深夜、別の生徒たちから奈保子のもとに、助けを求めるLINEが届く。夜の校舎に駆けつけ、クラスに辿り着いた彼女を待ち構えていたのは、カッターや箒やバットや三角定規など、教室内のありとあらゆるものを用いて殺し合いを果たした24人の生徒の死体だった。

絶望の中で奈保子は、1学期には平穏だったクラスの雰囲気を一変させた事件、ある女生徒に対する攻撃が始まった日のことを思い出す。一方、事件の捜査に乗り出した埼玉県警の野々村刑事は、C組内で、クラスぐるみの苛烈ないじめが発生していたこと、それが大量死の真相に繋がっていることに気付く。

学園ホラーといえば、呪いなどで生徒がひとりまたひとりと死んでいく展開が定番ですが、この小説はタイトル通り、冒頭でいきなり24人死んでいます。この時点で既に、失踪中の4人を残してクラスが壊滅しているのですが、24人を死なせた「超常的な力」の存在を教師と刑事が追ううちに、犠牲者はクラス外学校外にまで広がり更に増えていきます。肉親さえ殺し合わせるその「力」が生み出す死に様、殺され方は相当に痛々しいです(絵面的にも、精神的にも)。

ただ超常的な部分以外でも、読者の背筋を寒くさせる要素は多数あり、たとえばいじめの内容もSNS上での中傷やクラス内での暴力行為に留まらず、拉致監禁した上での薬品を使った拷問など、常軌を逸したものです。そのうえ、事件の真相を追いかける側の野々村刑事も、もともと暴力への欲求にとりつかれており、実娘に対して手を上げるなど危うい性質を備えていて、破滅へまっしぐらに向かっていきます。この作品で描き出され、あぶり出されていくのは、人間のもつ根源的な「暴力へ向かう衝動」そのものの「怖さ」なのです。


しかしながら、物語の根幹にあるのは、強者に虐げられた者たちの儚い連帯と反撃であり、そこには恐怖とともに、深い悲しみも隠されています。28人中24人までが第1章で死ぬクラスに、生存者や希望は残されるのかどうか、ぜひ見届けてみてください。

2017年12月2日土曜日

明けない夜に誘う、絵の中の彼女――森見登美彦『夜行』

今晩は、ミニキャッパー周平です。そろそろ年の瀬が近づいており、今年話題になったホラー作品でご紹介し損ねたものはなかったかと確認し直している最中。(2016年刊行ですが)2017年の「本屋大賞」にもノミネートされたホラー作品をご紹介し忘れていたので、既にお読みの方も多いかと思いますが、取り上げさせていただきます。

というわけで本日の一冊は、森見登美彦『夜行』。



かつて同じ英会話スクールに通っていた五人の男女が集まり、十年ぶりに京都の「鞍馬の火祭」を見物しにいくことになった。互いの近況報告に花を咲かせる彼らだったが、十年前、仲間の一人であった女性・長谷川さんが鞍馬の火祭の日に姿を消し、そのまま行方知れずになったことが、彼ら全員の心に影を落とす思い出になっていた。

やがてメンバーの一人が、長谷川さんに似た人を目撃したこと、その姿を追ってたどり着いた画廊で気になる絵を見つけたことを打ち明ける。それを皮切りに、五人が一人ずつ、自身の奇妙な体験を語り始めた。それらはいずれも、長谷川さんの幻影と、亡くなった銅版画家・岸田道生の残した絵「夜行」に結びついたものだった……。

ユーモラス・コミカルな作品のイメージの強い著者ですが、『きつねのはなし』や本書などは、幽玄の世界を描く幻想怪談の書き手としての顔を見せられます。

メンバー一人一人が語る物語の舞台は、尾道の坂の上の小さな商店、奥飛騨の山道と旅館、雪深い津軽の一軒家や市場など、連作である「夜行」の絵に描かれた、日本情緒溢れる様々な土地です。それらの舞台で、「夜行」の絵に(正確には、「夜行」の絵の中で手招きするごとく手を挙げる女性に)魅入られた人々がいずこか異界へ導かれていくことが匂わされつつ、繰り返し、「神隠し」「喪失」というモチーフが変奏されます。いずれも情景が目に浮かび湿度さえ伝わってくるような筆致ですが、それ以上に名前のつけにくい「感覚」が伝わってきます。たとえていうなら――ひとりで見知らぬ土地を旅している最中、ふと感じてしまう「自分がこのまま誰にも知られずに消えてしまうのではないか」というぼんやりとした不安、あの感覚が、全編に漲っています。現実に存在する観光地や名勝をこういった「亜空間」に変えてしまう描写の冴えは、京都という実在の町を幻想の世界に変えてきた著者の面目躍如でしょう。

ラストの2章では、物語の根幹である「夜行」の絵が描かれた経緯や、長谷川さんの行方についてスポットがあたるものの、更に幻想が深まっていき物語は迷宮性を増していきます。そんな中で「永遠に続く夜の世界」のイメージが美しく妖しく、あたかも全世界が夜に包まれているかのような鮮烈な印象を残します。その世界に、恐怖と同時に憧れめいた感情さえ浮かぶのは私だけではないでしょう。読み終わった後、ひどく夜の一人旅をしてみたくなる一冊ですが、ひょっとすると、そんな私もまた、「夜行」に魅入られてしまった人間の一人なのかもしれません。




2017年11月25日土曜日

バースデーケーキは人肉で……マット・ショー/マイケル・ブレイ作、関麻衣子訳『ネクロフィリアの食卓』

今晩は、ミニキャッパー周平です。書店で気になった本はとりあえず冒頭を立ち読みしてみる派です。今回ご紹介する本は、開くといきなり、「WARNING 本書は成人の読者を想定して書かれた、過激なホラー小説です。(略)過激な表現を好まない方や、ショックを受けたり気分を害しやすい方は、ご注意ください」との、「警告文」が掲載されています。次のページをめくると、「幅広いホラーファンに届く作品を書くつもりだったが、書いているうちに本当に恐ろしい物語になってしまった」「この作品の内容は物議を醸すだろう」的な「著者からのメッセージ」が、共作なので二人分並んでいます。物語が始まる前からこんなに連続で脅かされる作品もあまりないでしょう。

というわけで、今回のテーマはマット・ショー/マイケル・ブレイ作、関麻衣子訳『ネクロフィリアの食卓』。



ガソリンスタンドの売店で働くクリスティーナは、1991年から現在(2014年)まで長きに渡って続いている連続失踪事件に、強い関心をもっていた。ホラー小説ファンでもあったクリスティーナは、ガソリンスタンドに訪れる客を殺人鬼に見立てる「遊び」を繰り返しているうちに、運悪く連続失踪事件の真犯人である老人と老女に遭遇し、拉致されてしまう。

クリスティーナが目覚めたのは森の中の家。叫び声を上げても誰も助けに来ず、厳重に封鎖されていて逃げ出すこともできない。家の住人は、老人と老女、そして彼らの息子――人間の皮でできたマスクを被った、二メートルを超す長身の怪物――だった。クリスティーナは、同じく拉致されてきた会社員の男性・ライアンとともに、息子の「誕生日」に必要とされたのだった。地獄の誕生日パーティーが始まる――

この物語は、ファンタジー・超自然の要素を一切含まず、徹頭徹尾、現実に存在しうる(性的なものも含む)暴力と殺戮の姿を描いた鬼畜系ホラーとなっています。

作中、もっとも精神に与えるダメージが大きい箇所は、「怪物」の誕生を描く章。夫から陰惨なまでの虐待を受けながら、逃げることも自殺することもできず、泥沼に嵌まっていく女性の姿を描いており、その臨場感に欝々とした気持ちになること必至です。特に、子供だけは守ろうとしていたのに、だんだん心が麻痺していく辺りの嫌なリアリティは強烈です。

しかし最大の見せ場はやはり誕生日パーティー。「メインディッシュは生きた人間」と帯でうたわれているので、カニバリズム描写は予想できると思います。しかし、「人間バースデーケーキ」に蝋燭を立てるために切れ込みを入れて……という箇所には、絵面のエグさにページから目を逸らしたくなりました。

暴力描写、精神的な痛めつけが強く、冒頭の警告文も納得の内容といえます。警告文に怯まない方はお楽しみください。


そして、カニバリズム描写といえば、第1回ジャンプホラー小説大賞銅賞受賞作『ピュグマリオンは種を蒔く』電子書籍で発売中。こちらもよろしくお願いいたします。

2017年11月18日土曜日

戦火の時代。少年は、あらゆる妖と霊宝が息づく屋敷に出会った――山吹静吽『迷い家』

今晩は、ミニキャッパー周平です。先週は、映画シン・ゴジラの地上波初放送が盛り上がりましたね。映画館で見た時もそうでしたが、やはり「自分の見知った町」がなすすべもなく破壊されるシーンが心に与えるインパクトは大きく、日本人にとって最上の恐怖を与えてくれる作品だと感じました。

今回ご紹介する本も、日本だからこそ生まれた恐怖譚にして、日本ならではの傑作――山吹静吽『迷い家』。



太平洋戦争のさなか。父が出征先で戦死し、母をも空襲で喪った少年・心造は、唯一の家族である妹・真那子ともに、集団疎開により山村に身を寄せている。心造は空襲の記憶に苦しめられながらも、戦争を厭う者たちを蔑み、本土決戦への覚悟を決めていた。

だがある日、真那子が同じく東京から疎開してきた少女とともに、姿を消した。警察の山狩りでも真那子は見つからず、自身で山中を捜索していた心造の前に忽然と現れたのは、巨大な屋敷だった。出会った者は神隠しに遭うというその屋敷に、妹のため、心造は単身で踏み込んで行くが……。

まずは、野山を駆けずり回って食糧を調達しようとする子どもたちの苦労、疎開者と地元の少年らの確執など、当時の空気が肌で伝わってくるような集団疎開生活のリアルな描写に、読者は否応なしに「戦時下日本」にタイムスリップさせられます。そして、両親を亡くし、戦局の不利を十分に理解しつつも、軍国少年として戦い抜く悲壮な決意を固めている心造の痛ましい姿に、胸を奪われるでしょう。

しかし何より素晴らしいのは、日本古来からの伝承である「迷い家」――神隠しに遭ったり山の中で迷ったりした人が出会う無人の屋敷――を、「妖や霊、霊宝の集まる場所」とした独自設定でしょう。心造は、迷い家の中で無数の霊宝に出会うのですが、その物量たるや、昭和までに日本で語られた怪異・怪談の全てを内包せんばかりの膨大さです。また、山姥や河童やのっぺらぼう、ろくろ首や雪女など、当時ですら一種ユーモラスにさえ感じられていた日本妖怪を、現代の私たちにとっても視覚的・生理的に「恐ろしい」存在として凄絶に描き切る筆力に舌を巻きます。そんな妖ばかりの家が、脱出不可能なホーンテッドハウスとなり、妹を助け出そうとする心造を翻弄する展開は手に汗握るものです。

物語には中盤から、戦後の視点――真那子とともに姿を消しながら、記憶を失って一人生還した女性の視点から語られることになります。迷い家のもつ恐怖はそのままに、時代が変わったことによって訪れてしまった「致命的な齟齬」が読者の心を突き刺さしていくことになります。そして訪れるのは破局か救済か。

「脱出できない幽霊屋敷で恐るべき次々モンスターが襲ってくる」というハリウッドホラーに通じるエンタメ感を持ちながら、日本怪談の総決算であり、ある時代の日本に暮らした人々――国家を信じて戦い、生き、死ななければならなかった人々――への鎮魂の詩として、涙を誘われる傑作です。


2017年11月11日土曜日

殺人者が徘徊する無人の温泉街、失われた記憶に蘇る惨劇――野城亮『ハラサキ』

今晩は、ミニキャッパー周平です。
突然ですが、皆さんは本の帯をつけたままにする派でしょうか、それとも一度は外してみる派でしょうか。私はとりあえず一度は帯を外して、隠れている部分を確かめる派です。
本日ご紹介する本は、帯付きで見ると「虚ろな瞳の女性がこちらをまっすぐ見据えている」というイラストですが、帯を外してみると、「女性が包丁をこちらに向けて構えている」のが明らかになるという仕掛けが隠されているのです。何気なく帯を外した時ビビりました。

というわけで、今日の一冊は、野城亮『ハラサキ』。


竹之山温泉街で育った女性・百崎日向は、幼少時の記憶を失っていた。里帰りのために竹之山に向かっていた日向は、駅で小学校の同級生だったという沙耶子に声をかけられ、母校を訪れることに。だが、彼女たちがたどり着いた竹之山の町は無人で、ハンマーをふるって襲いかかる謎の影が徘徊する、暗黒の異空間だった。日向は影から逃げ回り、異空間からの脱出を試みるが……。
その頃、一足先に、現実世界の竹之山に無事到着していた日向の婚約者・正樹は、連絡の途絶えた日向の捜索を始める。彼女の失踪の影には、町でささやかれる「ハラサキ」の噂――『悪いことをしたり夜に出歩いたりすると、ハラサキの世界に閉じ込められて腹を裂かれる』という都市伝説が見え隠れする。

「辿り着いた駅に誰もおらず、異変を感じて電車に戻ろうとすると電車が走り去ってしまう」という、インターネットフォークロアめいた序盤から一転、謎のルールに支配された空間から逃げ出そうとする、脱出ゲーム的な展開に向かう本作品。ヒロインが閉じ込められた「檻」であるところの竹之山の町の情景が美しく物悲しいのが、ホラーとしての緊張感やおぞましさと、絶妙なハーモニーを奏でています。雪の積もりゆく温泉街、廃旅館、無人の土産物屋、焼け落ちる家、雪原の先の小学校、そして夕焼け。過去に起きた惨劇の現場さえ、郷愁を誘い、目に焼き付くようです。


物語を牽引していくのは、逃走劇のスリルばかりでなく、散りばめられた謎の数々でもあります。異空間で発見された死体の身元、その死体が握りしめていたメモに書かれた<処刑場>という言葉の意味、記憶喪失である日向の小学校時代、日向の両親の死の理由、影の正体。そんな様々な謎が、徐々に解きほぐされていくうちに、読者は「日向は助かるのか」そして「助かるべき人間なのか」と心を翻弄されること請け合いでしょう。最初に述べた、女性が包丁を構えているカバーイラストも作中で重要なシーンを描いたものと思われますので、読後に改めて見てみると更にぞっとします。スピーディな物語かつ200ページと少しというコンパクトさであっという間に読んでしまえる小説ですが、最後の最後までどうぞくれぐれも油断なさらぬように。

2017年11月4日土曜日

怪異集結、世界の存亡をかけた戦い――ロジャー・ゼラズニイ『虚ろなる十月の夜に』

今晩は、ミニキャッパー周平です。この間、CDを借りようと渋谷に向かったところ、ちょうどハロウィンの仮装をした大群衆と出くわして、進むことも脱出することもできない大変な目に遭いました。子どもの頃は日本国内ではそんなにポピュラーだった気がしないので、これほど日本にハロウィンが定着していることに隔世の感を覚えます。

さて、今回は、そんなハロウィンが舞台になった素敵な作品を。SF・ファンタジー作家のロジャー・ゼラズニイによる『虚ろなる十月の夜に』(訳:森瀬繚)です。



19世紀末、ある年の10月。切り裂きジャックに飼われる犬・スナッフの日課は、主人の仕事の手伝い。魔術的な力を持ち、人の言葉を理解するスナッフは、警察や敵対者に追われるジャックを守る番犬でもあり、使い魔でもある。スナッフばかりでなく、近隣では、ネコ・ヘビ・コウモリ・リス・フクロウなど様々な動物が、それぞれの飼い主の使い魔として動き、情報を収集し、何やら準備をしている。動物たちとその飼い主たちは、実は、世界をかけた戦いの参加者なのだ。彼らの正体は、古の神々を復活させようとする≪開く者(オープナー)≫と、それを阻止しようとする≪閉じる者(クローザー)≫。二つの勢力は、ハロウィンの夜に行われる「大いなる儀式」に向けて魔術的な闘争を繰り広げる――。

というわけで、10月1日から1031日までの戦いの経過を描いた作品です。序盤は次々に喋る動物が登場するファンタジックな絵面ですが、互いに「どちらの陣営に属しているのか」を探り合いながら情報交換をするという、ゲームの準備段階のような内容(登場キャラクター数がかなり多いので、自分で登場人物表を作りながら読んだ方が分かりやすいと思います)。当然ながら読者にも、どのキャラがどちらの陣営に属しているか、なかなか明かされないのでやきもきさせられます。そして新月の夜辺りから参加者がついに衝突を開始。死者や退場者が出始めるとがぜん物語は盛り上がり、大いなる儀式に向けて、一気に加速していきます。

作者の旺盛なサービス精神が満ちている物語でもあり、ジャックを追っている(女装もする)探偵はどう見てもシャーロック・ホームズだし、マッドサイエンティストが死体のパーツを繋ぎ合わせてフランケンシュタインの怪物を作り上げようとしているし、コウモリの飼い主は超常的な能力をもつ「伯爵」だし、満月の夜が近づくと変身しそうになるやつはいるし、とオールスターが夢の競演、といった感があります。その彼らが古の神々、即ちクトゥルーの神々の復活をかけて戦っているという豪華さであり、ゲーム化とか映画化とかしてほしい内容になっています。


11月になってしまいましたが、忙しくてハロウィンを楽しめなかった、という方はぜひ本書で、マジカルなハロウィンを体験してみてはいかがでしょうか。

2017年10月28日土曜日

家族を喪った少女を守る、心優しき霊……オーガスト・ダーレス『ジョージおじさん ―十七人の奇怪な人々―』

今晩は、ミニキャッパー周平です。ホラー賞の宣伝隊長として、最新のホラーをチェックしつつ、ホラーの歴史に少しでも詳しくなれるよう、クラシックホラーも探る毎日です。そんな中で、埋もれていた往年の名作に光を当てる『ナイトランド叢書』シリーズに嵌まっています。
今回ご紹介する短編集は、そのシリーズから、オーガスト・ダーレス『ジョージおじさん―十七人の奇怪な人々―』。


ダーレスが何者かご存知ない方に説明しますと、ホラーの歴史においては、出版社≪アーカム・ハウス≫を立ち上げ、師であったラヴクラフトのホラー作品群を出版し、宇宙的暗黒神話「クトゥルー神話」として体系化してプロデュースした功績で知られています。つまりクトゥルー神話を世に広めた重要人物。
ダーレス本人も、クトゥルー神話に連なる小説を書いていますが、本書は、非クトゥルーものの短編集。十七本を収録していますが、その作品は意外にも、因果応報ものや復讐譚、ジェントル・ゴースト・ストーリーなどが占め、不条理なものはほぼありません。

この本の中では、基本的に、後ろ暗い部分を抱えている人間にはその報いが追ってくることになっています。釣り仲間を死に追いやった判事が謎の釣り人に遭遇する「パリントンの淵」、完全犯罪をもくろみ叔父を殺したばかりの男が列車の中で不審な乗客に出会う「余計な乗客」などは、読者に怪異の正体・結末は予感させつつ、ぞっとする細部の演出で読ませます。
怪現象の先に、なんらかの罪があぶりだされるという短編も多く、線路上に正体不明の男が現れては消失してを繰り返す「B十七号鉄橋の男」、風もないのに一本の木が名前を呼ぶような風音を鳴らす「ライラックに吹く風」、全身ワインの臭いをさせる男が宿屋に訪れる「マニフォールド夫人」、履いていると戦場の幻覚を見てしまう靴の呪い「死者の靴」など。これらの短編では、過去に何があったせいでこんな現象が起きるのか、という疑問について、明確でミステリ的といっていい回答が用意されています。そんな中、町ぐるみで行われる秘密の夜の祝祭を描いた「ロスト・ヴァレー行き夜行列車」は、唯一、謎ときにの先に、クトゥルー的な茫洋たる読後感が待ち構えています。
不思議なアイテムによって運命を狂わされてしまう人々を扱った作品も多く、「青い眼鏡」は、善人でない者が使用すると災いが起こる、という眼鏡を手に入れた好色な伊達男が、「プラハから来た紳士」は、教会からいわくつきの宝飾品を盗み出したバイヤーが、「幸いなるかな、柔和なる者」は、魔人の封印された瓶を拾った少年とその祖父が、それぞれどんな結末を辿るかが見所です。このタイプの作品では、放蕩者の甥から、アメリカ先住民の干し首(!)をプレゼントとして送られた男が主人公の「客間の干し首」が、結末のどんでん返しも華麗で好みです。

上記のように多数の怪異を取りそろえた本ですが、本書を読み通した時に強い印象を残すのは、霊orもしくは霊的な力を持った存在と、か弱い人間との絆。エモーショナルで読者の心を強く動かす作品が、この本のエッセンスでもあるのです(ただし、だいたいストーリーはぶっそうで人が死にます。作中登場する食べ物にはおおむねヒ素が入っています)。

死後も想い人の屋敷に留まり続けた女性との逢瀬を描く「マーラ」は妖しくも哀切。湖の中に子供を引きずり込もうとする孤独な霊の物語「アラナ」は痛切なまでにやるせない。少年と亡くなった祖父の霊がチェスを指す、「ビショップス・ギャンビット」はヒカルの碁を連想させなくもない展開が爽快。継母に虐待される子供を、近所に住む魔女めいた女性が守る「ミス・エスパーソン」などは不気味でありつつ感動的。両親を失った少年の傍に寄り添い続ける長命の猫にスポットを当てた「黒猫バルー」などは、痛快さと残酷さが同居していて、いわく言い難い読後感を残します。
そして、一番の傑作はやはり、本書の表題作となっている「ジョージおじさん」。保護者であったジョージおじさんを亡くし、莫大な遺産を相続した少女・プリシラは、金に目がくらんだ親族三人から命を狙われる。ジョージおじさんの死を受け入れられず、その帰りを待ち続けるプリシラに迫る、親族たちの魔手。しかし、死んでもジョージおじさんはプリシラを守り続ける……。無垢な子供にとっては護り手となり、欲にまみれた大人にとっては断罪者となる、人間以上に血の通った霊。その温かさに泣かされてしまう好編です。

というわけで、クトゥルー神話の重要作家による非クトゥルーもの、というやや変化球的な(それでも、粒ぞろいの)短編集を紹介しましたが、次回は(恐らく)全力でクトゥルーものの作品をご紹介します。



2017年10月21日土曜日

ニューヨークを襲う連続変死事件に魔女の影が――A.メリット『魔女を焼き殺せ!』



今晩は、ミニキャッパー周平です。だいぶ前からボリビアのウユニ塩湖とやらに行ってみたいのですが、往復と宿泊を考えると、なかなか行けるほどの休みが取れそうにありません。編集者という職業的には仕方ない部分だとは思いますが。

しかし、世の中には、編集者でありながら余暇に世界中を旅し、オカルト好きゆえに旅行先の各国の武器・彫刻・仮面をコレクションし、さらに自宅で魔術の研究をしたり薬草を栽培したりオカルト本を五千冊も収集したりして、ついでにホラー小説も書いてしまう、などという超人のような人もいまして……。

というわけで今回ご紹介する作品は、A.メリット『魔女を焼き殺せ!』。一九三二年にパルプ雑誌に連載されたのを初出とする小説です。


ニューヨークの医師・ローウェルは、神経学と脳疾患を専門とし、異常心理の権威として知られる名医だった。ある日の深夜一時、彼の医院に急患が運ばれてきた。患者につきそっていたのは裏社会の首領・リコリ。患者はリコリの右腕として働いていた男だった。患者は意識があるのに喋ることもできず、何者かを恐れるような表情と、悪魔に憑かれたごとき邪悪な表情とを繰り返した末に心停止、更に心臓が止まった三分後におぞましい笑い声を上げる、という奇怪な死を遂げた。似た症例を探すためローウェルがニューヨーク中の医師に問い合わせしたところ、この半年の間に、七件もの同様の事例が発生していたことが判明する。その犠牲者は、銀行家や慈善家、サーカスの空中ぶらんこ乗りや十一歳の少女などバラバラで、共通点も判明しない。ローウェルは医学的観点からその不審死の原因をつきとめようとするが、リコリは事件を「ラ・ストレガ」すなわち「魔女」のしわざだと叫ぶ――。

本書を一読して分かるのは、二十世紀初頭あたりまでの怪奇幻想小説に比べて、現代のホラー小説に読み味がかなり近いこと。本作よりだいたい二十年くらい遡った時代の小説は「溜め」が長く、ムードを高めるための舞台設定にページを割くことが多いのですが(その結果として、おどろおどろしさの割に犠牲者が少なくて済んだりします)、本作のスピード感は完全に現代の書き下ろしホラー文庫と同じか、それ以上。実は上記のあらすじで十九章分のうちまだ二章分の内容で、ローウェルとリコリが事件を捜査し始めてその犯人と手段をつきとめようとするものの、まだ犠牲者は(安全圏にいると思われた登場人物も含め)ガンガン増えていきます。打ちのめされつつもローウェルは犯人の奇怪なやり口を解き明かし、事件の根源である「魔女」と対峙するのですが……相手はこちらの手の内を見透かし、人形を用いたファンタジックに見えて残酷きわまる魔術で人間を葬り去っていく、強大な魔女。本当に倒すことができるのかどうか、ハラハラやきもきさせられます。

容赦なく事態が進行するスピード感(そしてそこから生まれるエンタメ感)はキングやクーンツの先駆にも見えますが、これはパルプマガジンの連載が初出という事情や、メリットがファンタジーを書いてきた経験が生きたのかもしれません。

ちなみに一九三二年といえば、ミステリ作家エラリイ・クイーンが「Xの悲劇」「Yの悲劇」「エジプト十字架の謎」を発表した年であり、また、ハクスリーがディストピアSF「すばらしい新世界」を発表した年でもあり、様々な小説ジャンルで同時に、現代に繋がる橋が架けられていたように感じます。

前述のとおり、世界各国を旅行している上にオカルト趣味のあったメリットは、様々な時代・場所での「邪悪な力」についての知識を持っていたようで、終盤で披露されるその知識は、物語のスパイスとしてかなり贅沢な使われ方をしており(今回の事件で用いられたのと同じ魔術は、実は様々な時代の様々な場所、人類の原初から使われていたのだ――という風に)、本書でも個人的にお気に入りの部分のひとつです。

意外だったのは、後半に行くにつれてあらゆる手がかりが魔女の実在とその超常的な力を示すにもかかわらず、主人公のローウェルが、後催眠や暗示など、同時代の科学で何とかその存在を合理的に説明できないかと苦労している点。もちろん、どんどん無理筋になっていきます。上に述べた魔術蘊蓄も含め、「科学が魔術の存在を消し去った時代に、魔女をテーマにしたホラーで読者を恐がらせること」に挑戦したメリットの企みがほの見えるかのようです。